29 April, 2010

就職活動の早期化を食い止めるたった1つの方法

「就職活動の早期化」を食い止めるにはどうしたらいいか、ということをここ数日考えてたので現時点までで考えたことを書いてみます。

結論として思い至ったのは、「就職活動のプロセスに参加させない」ために「1年間の海外留学」を全ての3年生に強制するということ。

そもそも、「就職活動の早期化」は日本だけでの問題ではなくて、海外にもあります。例えば、僕のいたシンガポールの大学では1年生の夏休みからほとんどの学生がインターンシップに参加しているようでした。

卒業後のこと・将来のことを考えるという意味での広義の就職活動に否定的な人というのはあまりいないのではないかと思いますが、その結果として、能力を早期に伸ばせる、将来につながる経験を積むことができる、ブランド力を身にまとうことができる(と思われる)企業になんとか入るべく、そのための理解、能力の向上を目指す狭義な意味での就職活動が早期化することはやむをえないことです。

企業側も転職市場が小さい分、能力の高い学生が欲しいわけでその獲得のためにアクションが早くなることはやむをえないことでしょう。

となると、いかに双方にとって、(企業にアピールできる、入社後に役に立つという意味で)有益な別のルートを生み出していけるかが大事。

その点で、今後、海外経験の有無が両者にとってこれまでにも増して重要になること明らかで、先日公開された経済産業省の以下の資料をみればより鮮明に見ることができます。
http://www.meti.go.jp/press/20100423007/20100423007.html
http://www.meti.go.jp/press/20100423007/20100423007-2.pdf

しかし、これに対するNHKの報道(国際的視野の人材育成が必要)によると、

"若手社員の間では、海外で働きたくないという志向が強まっているうえ、留学する学生も、就職活動を始める時期が遅れるという理由などで、減少傾向にある"

とのこと。

これでは、以前、「国際競争の厳しさ」で書いたような人材競争が国際化し、激化した際に世界に出ていく重要性をわかっていても出ていけないような状況に陥りかねず、その時、日本人は窮地に追い込まれてしまいかねません。

ということで、日本の大学には留学を強制イベントにしてほしい。

これができれば留学に行くからといって、就職活動に不利になることはないし(むしろ、いけないと不利になる)、企業側にとっても就職活動が帰国後一斉に始まることになるので、長期にわたって無駄なコストをかける必要がなくなる。

また、留学を強制することで、日本で働く以外のオプションを認知することができるともっと日本は明るくなってくると思う。というのは、海外もそんなに悪くない(例えば、シンガポールの生活水準は東京とそん色ないと個人的には思う。)と海外で暮らす和僑が増えれば日本人の海外進出のとっかかりになるだろうし、「日本語がメインになる日本より英語をバリバリ使う海外で勝負したい」、と能力のある学生や「サービス残業なんてしたくない、社畜になりたくない」、という潜在的な学生がどんどん海外に流出して日本企業のプールから抜けていけば日本特異な労働環境も変えざるを得なっていくのではないかと思う。そうすると移民ももっと受け入れやすくなるし、日本の国際化も進むはず。(事実、僕と同じタイミングでシンガポールに留学していた友人はあっち就職活動をしていたりします。)

現状でも国際教養大学や早稲田の国際教養学部、立命館アジア太平洋大学みたいにこういった考えのもと創設された大学・学部ができつつあるので常識化するのは時間の問題だと思いますが、谷間の世代にならないためにも個人レベルでの打開を考えていかねば。

(参考までに、国際教養大学に関する記事「これからの大学教育のあり方」)

とりあえず、今の僕がやるべきことは留学が就職活動にマイナスにならないことを証明すること。頑張らねば。

03 April, 2010

命を賭して?

ソフトバンク・孫正義さんの「孫正義、【志】を語る。「孫正義 LIVE 2011」書き起こし(その1)」が話題のようです。

全般に凄まじい、の一言で必見だと思うのですが、一点個人的にどうもしっくり来なかったところがあるので、その点について書いてみたいと思います。

引っかかったのは、以下の点。

"ソフトバンクの株主には申し訳ない。社員にも申し訳ない。すまん、一緒に死んでくれ。そういうことですよ。革命とはそういうものだ。命もいらん。金もいらん。名誉もいらん。そしてソフトバンクがなくなって、そしてソフトバンクの名誉もなくなっても、もうええじゃないか。それで日本のインターネットの夜明けが来れば、日本のブロードバンドの夜明けが来れば、それでいいじゃないか。そのくらいの覚悟がないとですね。事は成せん。私は真剣にそう思ってるんです。"

個々人の考え方なので、否定するつもりはありませんが、僕個人としてはこういう考え方はあまり好きではありません。

なぜなら、あまりに志を神格化しすぎているように思うからです。

革命とは常に、一般から見れば反逆者の行為であり、それが結果的に成功したからこそ、のちに革命と呼ばれます。成功した一握りの革命の影には、無数の失敗に終わった反乱があります。

イスラムのテロリストたちはマドラサというイスラム神学校で同じような思想の教育を受け、自らの命を犠牲にテロを実行しています。

命を賭してでも達成しなければならない志があるのは確かだと思いますが、本当に命を賭けるに値する仕事がそんなに多くあるのかという点を疑問に思います。こういった考え方が日本ではあまりに一般的だからこそ、海外ニートさんが最近よく使われている表現、「労道」につながっていくのだと思ってしまいます。

龍馬は龍馬伝の中で土佐藩ではなく、日本という尺度で意思決定し、脱藩をしていました。

あれから、約150年経ち、現代社会はグローバリゼーションが進展し、国の境界線がこれまでにないほど曖昧化しています。

もう日本という尺度で物事を考える必要すらないのではないかと最近思います。

世界基準で個々人のそれぞれの尺度に従って、他へ移住していけばいいのではないか、と。(もちろん、それができるだけの能力を早期に身につけなければなりませんが。)

もし、ネット速度が納得できないほど遅いなら、早い国に移住する。

という選択肢がもっと一般化してもいいと思うのです。

龍馬は山本琢磨の切腹に際し、武市にこう言いました。「死んだら終わりですろ?」と。結局、何をするにも生きていないとできない意味がないのではないのではないでしょうか。

以上、最近「日本はやばい。変えていかねばならない。」という意見に溢れている自分のtwitterのTLから少しの間離れてみて、感じたことでした。

実際、シンガポールにも日本から移住してきた日本人が多くいらっしゃいますが、大抵日本には帰りたくないと仰っていますよー。

こういうこと書くと、きっと草食系とかゆとりとか言われるんだろうな。。(笑)