03 April, 2010

命を賭して?

ソフトバンク・孫正義さんの「孫正義、【志】を語る。「孫正義 LIVE 2011」書き起こし(その1)」が話題のようです。

全般に凄まじい、の一言で必見だと思うのですが、一点個人的にどうもしっくり来なかったところがあるので、その点について書いてみたいと思います。

引っかかったのは、以下の点。

"ソフトバンクの株主には申し訳ない。社員にも申し訳ない。すまん、一緒に死んでくれ。そういうことですよ。革命とはそういうものだ。命もいらん。金もいらん。名誉もいらん。そしてソフトバンクがなくなって、そしてソフトバンクの名誉もなくなっても、もうええじゃないか。それで日本のインターネットの夜明けが来れば、日本のブロードバンドの夜明けが来れば、それでいいじゃないか。そのくらいの覚悟がないとですね。事は成せん。私は真剣にそう思ってるんです。"

個々人の考え方なので、否定するつもりはありませんが、僕個人としてはこういう考え方はあまり好きではありません。

なぜなら、あまりに志を神格化しすぎているように思うからです。

革命とは常に、一般から見れば反逆者の行為であり、それが結果的に成功したからこそ、のちに革命と呼ばれます。成功した一握りの革命の影には、無数の失敗に終わった反乱があります。

イスラムのテロリストたちはマドラサというイスラム神学校で同じような思想の教育を受け、自らの命を犠牲にテロを実行しています。

命を賭してでも達成しなければならない志があるのは確かだと思いますが、本当に命を賭けるに値する仕事がそんなに多くあるのかという点を疑問に思います。こういった考え方が日本ではあまりに一般的だからこそ、海外ニートさんが最近よく使われている表現、「労道」につながっていくのだと思ってしまいます。

龍馬は龍馬伝の中で土佐藩ではなく、日本という尺度で意思決定し、脱藩をしていました。

あれから、約150年経ち、現代社会はグローバリゼーションが進展し、国の境界線がこれまでにないほど曖昧化しています。

もう日本という尺度で物事を考える必要すらないのではないかと最近思います。

世界基準で個々人のそれぞれの尺度に従って、他へ移住していけばいいのではないか、と。(もちろん、それができるだけの能力を早期に身につけなければなりませんが。)

もし、ネット速度が納得できないほど遅いなら、早い国に移住する。

という選択肢がもっと一般化してもいいと思うのです。

龍馬は山本琢磨の切腹に際し、武市にこう言いました。「死んだら終わりですろ?」と。結局、何をするにも生きていないとできない意味がないのではないのではないでしょうか。

以上、最近「日本はやばい。変えていかねばならない。」という意見に溢れている自分のtwitterのTLから少しの間離れてみて、感じたことでした。

実際、シンガポールにも日本から移住してきた日本人が多くいらっしゃいますが、大抵日本には帰りたくないと仰っていますよー。

こういうこと書くと、きっと草食系とかゆとりとか言われるんだろうな。。(笑)


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