08 March, 2010

若者はいつ立ち上がるのか



id:iammgさんの「学園闘争とツイッターの関係」を読んでのエントリー。





こちらで取っている授業の一つ、"Politics in Japan and South Korea"の中で、韓国の学生闘争の現代社会への影響について、興味深い話があったので、それについて書いてみたいと思います。





日韓のcivil society(市民社会)についての話だったのですが、その中で、韓国で社会起業家と呼ばれている方々のほとんどが学生闘争を経験した世代であるらしいです。(韓国では386世代と呼ばれているとか。60年代生まれで80年代に大学生だった00年代当時30代の世代の意。)





韓国の学生闘争は、以前こちら(「韓国から僕らが見習うべき3つのこと」)でも書いた通り、民主主義を求めて長い間、軍事政府と戦っていたので、その血をひいた韓国のNPOも矛先をより政府に向けており、政府と対抗すべく、大きな規模を持ち、また政策提言などを積極的に行うため、法律家などのプロフェッショナル層が多数参加していることが特徴的なんだとか。結果として、政府に対する影響力も強いそうです。(先日、派遣村の湯浅さんは内閣府参与を辞職されたましたが、このような市民社会の指導者が内閣に入るケースが韓国には多数あるそう。)





翻って日本はというと、NPOの起こりは自発的な市民活動が注目を浴び、NPO元年とも呼ばれている阪神淡路大震災のあった1994年ですが、もともとこのような国家的危機に対し、柔軟に対応できなかった政府の代わりに政府が行うべきだったタスクを自発的に市民が行っていったという経緯があるため、基本的に規模は小さく、また政府との協調関係を基本とした性格が強いらしいです。





この違いを聞いて、僕が思ったことの1つは近年、「社会起業」というキーワードが広く叫ばれるようになった理由は、日本のNPOの性格をより韓国のようなものに近づけようという動きが、日本のNPOに関わる方々の中であったからではないか、ということです。





元々、日本は政府に対する信頼感がとても強い国でしたが、失われた10年でそれが崩壊し、日本は迷走を続けています。そんな中で、より直接的な影響力を増やし、政府と対峙していける市民社会へと近づくべく、「社会を変える」というキャッチフレーズだったり、「起業」という刺激的な言葉を使うことで、優秀な担い手を増やし、またそこから規模の拡大を目指したのではないか、と。





これまでは、新しい担い手、規模拡大のための有力なターゲットであった学生たちは、売り手市場の中で、現状に疑問を持つことは少なかったですが、就職氷河期という原因が自分たちには全くない難局に直面し、これはおかしい、という危機感が高まっているように思います。





「社会起業」というキーワードによるある種のけしかけに応じる機運が学生の中に高まりつつあるこれからこそ、日本の社会起業家というムーヴメントはこれから本格化するのかもしれません。


実際、僕があったことのある優秀だなー、と思う学生の中では社会起業といった話題に対する注目度はかなり高いですし。





そして、twitterやUSTREAMなどのソーシャル・ツールによる集団合意の伝搬は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な性格が強い日本人に対しては特に有効かもしれません。(実際現状、そんな感じですし。)





「どうして日本の若者は反乱しないのか」


なんて言われていましたが、平成維新の機は熟しつつあるのかもしれませんねー。








【参考】


韓国の社会起業家について


韓国の社会起業家訪問(まとめ)


韓国の社会起業家の方との交流





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