id:elm200さんが「日本に「シンガポール」を作ろう」でシンガポールをネタにされていたので、すかさずエントリーw
最近、とみにシンガポールや香港をモデルに日本を変えて行こう、という趣旨のものを(僕が人一倍、シンガポールというキーワードにアンテナを張っているからだとも思われますが)よく見かけます。(例:「シンガポールの成長戦略について書いてみる」で取り上げた夏野さんの記事。)
しかし、僕は日本がシンガポール・香港をモデルに国づくりをし直すというのは当面、ありえないだろうなー、と思っています。
理由は、「危機感が一部でしか共有されていないから。国を動かすには足りないから。」
以前、コチラの記事で引用したmojixさんのエントリー「アメリカ人は「希望駆動型」、日本人は「危機感駆動型」」では、日米間のインセンティブを比較されていましたが、シンガポールもかなり危機駆動型な国です。(建国の父、リー・クアンユーのwikipediaに詳しいですが。)
主な危機要因は「水」と「国防」の2つ。
まず、「水」。
熱帯に位置する国なので、雨はよく降るのですが、高低差が少ない国であるため、日本のように、ダムを引いて~のようなことができず、水源が自国だけではまかなえません。そのため、隣国マレーシアのジョホール・バルからパイプを引き、水資源を購入することでしのいでいます。マレーシアとの関係はかならずしも良好(外交的に)とはいえないため、交渉力を失わないためにも国家の経済成長は欠かせませんでした。
次に、「国防」。
以前、コチラで書いたように、現在では、韓国のような(戦争が起こりうる)敵国がいるわけではありませんが、シンガポールの男性は2年間の軍で訓練を受けなければなりません。
何も知らなかったころ、「仮想敵国は誰なんだ?」、とシンガポール人の友人に聞いたことがあったのですが、以前は、8月9日のシンガポール独立記念日にマレーシア軍がジョホール・バルの国境に押し寄せる、といったこともあったそう。
こういった危機感に煽られる中、リー・クアンユーが行った政策が実を結び、日本を超える1人当りGDPを実現することとなったわけです。
一方の日本はこういう国がなくなるといった強烈な危機感はないので(参考:「日本以外みな軍拡」)、当面は悪くなる一方だと思っています。
ちなみに、僕がいつになったら危機感が国全体で共有されたかを測る指標となるんじゃないかな、と思っているのが教育政策。
僕自身、いわゆる「ゆとり世代」ですがゆとり教育なんて言っていたつい最近までは、危機感もへったくれもないなかったように思います。ただ、教育というのは、長期的な変化の起点となるので、そこに変化が現れれば、いよいよ国全体が変わっていくのではないか、と。(5年先か、10年先かはわかりませんが。)
もっと具体的に言うと、「東大の授業が全て英語でなされるようになる」と一気に変わるんではないか、と思っています。
元々、明治時代の東大は海外の最新の知識を得ることで、欧米列強に対応すべく、欧米語で授業を行っていました。(「東京大学 (1877-1886)」)
現在、授業は日本語ですが、大学院では英語だけで卒業できるコースもあるとか。(卒業されたベトナム人の方に聞いた話。)
日本にも、APU(立命館アジア太平洋大学)や国際大学など、国際化に対応した大学もかなりありますが、ヒエラルキーのトップが国としての危機を察知すれば、本格的な変化が起こるのではないかと思います。
もしくは、この資料(http://www.rche-kanazawa-u.jp/news/pdf/centernewsNo299.pdf)にあるように、海外トップ校の誘致に力を入れるでもいいかと思うのですが。
この事例として、la dolce vitaさんが以前、「INSEAD誘致失敗で失ったもの」を書かれていましたが、やはり現時点での政府の先見性・危機感のなさを感じずにはいられません。(かたや国連大学は必死に招致したらしい。苦笑→「「国連大学」ってどんな大学?」)
日本国が本気を見せるまで、当面かかりそうなので、国に頼らなくてもいいよう、個人としての生き残りを考えていかねば。