15 June, 2011

ソーシャル化するインターネットにおいて意識しておくべき2つの危険





先日、日本語版が再創刊されたWIREDに『「ソーシャル」という罠 —プライバシーが消えてゆく« WIRED.jp』という興味深い特集がありました。
(web版では、TechWaveの湯川さんやスケダチの高広さんによるそれに対するレビュー記事があり、こちらも非常に面白い内容です。)

せっかく面白いので、それに関して思っていることをちょっと書いてみます。

僕自身はソーシャル化によってインターネットが”データのためのプラットフォームから人のための空間へと進化”したことは歓迎されるべきことで、それに関するメリットはかなり大きいと思っています。(→ソーシャルメディアがもたらすものと課題だと感じるもの

ただ、その発展の過程で意識しておかねばと感じていることが(今のところ)2つほどあります。

それは、
1. 一般社会とインターネット社会とが乖離していく危険
2. ソーシャル化によってもたらされた情報が人々を隔離していく危険
の2つ。

まず、一つ目の一般社会とインターネット社会とが乖離していく危険について。

インターネットは一般人であってもよりチャンスをつかみやすい時代を作り、Justine BeiberのようにYoutubeやTwitter、Blogで一般人が有名人になる事例が多く生まれてきています。
そして、そのような成功事例をもって情報発信を積極的に行う露出狂を賞賛され、それをどのように行っていくのかという点にスポットが当たっています。
僕自身もそのような流れの中に身を置いているので、ブログを書くことを周りに勧めます。(→『Blogによって得られる3つのこと。』)

ただ、これは先日、一緒にシェアアパートに住んでいる住人にブログを勧めたときのリアクションで気づいたのですが、(当然ながら)露出をしたくない、できない人もいるわけでそういった人にとっては現状のソーシャル化というのは住みづらい世界です。もし、今後のソーシャル化がそのような露出に対する抵抗を和らげていく方向ではなく、露出狂をさらに狂信化させていく方向に移っていくのだとすればそれは非常に危険なのではないかと。

現状でも、最近あちらこちらで話題となっている以下の動画が示すとおり、現実社会とインターネット社会というのは異なるマナーで進化しています。



次に、ソーシャル化によってもたらされた情報が人々を隔離していく危険について。

こちらに対する危機意識の方が1よりも強いのですが、よく言われるこれからの社会のあり方に「人が情報を探すのではなく、情報の方が人を見つける」というものがあります。
自分によって重要な情報が自動で集まるのだから素晴らしいと以前は思っていたのですが、この裏には以前紹介したEli PariserによるTED Talkのように(→「インターネットを使う人が知っておくべきこれからのインターネットがもつ秘密」)ソーシャル化によって個人に関する情報が集まるにつれ、アルゴリズムが人々を興味、関心、考え方によってそれぞれ隔離していってしまう可能性があります。

現状のwebは多くが広告ビジネスであり、GoogleもFacebookもユーザーが気持ちいい空間を作ることでメディアとしての価値を高めようとしています。それらに利用される部分をしっかりと意識し、上手に使っていけるようにしなければいけませんねー。



【参考】
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